TKC創設者 飯塚毅先生
『電算機利用による会計事務所合理化』復刻版P3より抜粋。
TKC全国会坂本孝司会長が、ぐんま秋期大学の講演にて重要な内容をご講演された。その中で、
を題材にされた。その内容はとても心に残りました。以下記載します。
あるものを認識し得ない人達にとっては、そのものは実在しない。細菌の恐ろしさを認識し得ない人にとっては、細菌の恐ろしさは実在しない。いまここに運命の岐れ路があると、認識できる人にとっては、運命の岐れ路は実在するが、足下に、運命の岐れ路を読み取れない人にとっては、自分がいま運命の岐れ路に立っているとの実感はない。
幸か不幸か、運命は無形である。自分の足下に、無形である運命の岐路が横たわっていると直感できる人は幸いである。
その人は、没落消滅の非運を泣かずに済むからである。電算機の猛烈な普及浸透が絶対不可欠の時代だと識って(しって)割り切ったとき、自分の足下には、運命の岐路が歴然として横たわることを知らねばならぬ。
遅れることの意味と価値とがあるならば遅れるのも良い。だが遅れることは、時代から遅れることであり、それだけ、自分の問題解決を先へ先へと押しやっているに過ぎない。そのことは、自分の運命が回復困難なところまで、刻まれてしまう成りゆきを放置しておくことを意味する。
人は皆、何かを決断した時、決断するときがあります。
胸に刻んでおかなくてはなりません。